夏色インバウンド


 夏休みも後半に差し掛かったある日。あたしはを夏休みの宿題を消し去るためにゆめ宅を訪れていた。

「ササヤマの体にだって山とか谷とかあるから!」

 好きな子を虐めて罪悪感を覚えるのか、快感を覚えるのか。あたしがどちらなのかの自覚はある。

「え? ゆめの体のどこにお山があるの? どこに谷があるの? あるのならとっても冒険してみたいと陽鞠は思いました」
「酷いっ! ササヤマにだって山とは言わないまでも丘くらいは!」

 どうしてこんな話題になったのか。どう見ても胸が小さくしか見えない彼女が胸の話題を出すなんてそんな自虐をすることになってしまったのか。それに深い事情は特にない。お菓子を食べながら始めた雑談がたまたまそういう方向に行ってしまっただけである。え? 宿題はどうしたかって? 皆で集まって宿題とか、テスト勉強とかってまともに勉強するやつなんてこの世にいるの? つまりはそういうことである。

「ただし標高が高いとは言ってないわけで」
「酷いっ! ササヤマはホウノキのことが嫌いになった!!」

 あたし朴木陽鞠16歳は、幼馴染の笹山ゆめ15歳に恋する乙女である。もちろん両想いである、多分、きっと、そのうち……近い未来では。

「標高が低くてもあたしは冒険しちゃうよ? 今すぐにでも」

 そしてあたしはゆめに襲いかかる。びっくりして対応が遅れているゆめの服を捲り上げ、ゆめご自慢のお山に登り始める。……ま、案の定お散歩で終わってしまったけれど。

「ちょぉぉぉぉ!! 何すんのバカァ!!」

 多少なりとも柔らかい感触を味わっていたら、ゆめが動いた。これは、ビンタが飛んでくる! ……くらいなら想定していたけれど、よもやチョキを両目を潰しに来るとは思ってなかったので「おわっ」っと声を出して仰け反り、床にしこたま頭をぶつけてしまった。

「……うう、頭部に強烈な痛みが」
「失明しなかったことを幸運に思え! 光の有り難さを再確認しろこの変態!」
「変態って……女同士じゃないの」
「知ってるホウノキ? セクハラって同性間でも成立するのよ」
「あたし達の仲なら不成立かなーと」
「ササヤマは遠慮なく訴える派」
「どうせ訴えられるのならヤれるだけヤっておくというのも一つの手」

 両の手をにぎにぎしながらそう答えた。

「こっちくんなケダモノ!!」

 お互い昔からずーっと一緒な幼馴染ですからね。と思ったのはあたしだけなのか。マシンガンのように文句を射出し、顔を真赤にして怒るゆめちゃんはまるでリトマス試験紙のよう。赤い方ね。

「逆にゆめがあたしに登山してもいいのよ? 登山料は無料だけど登っちゃう?」
「巨乳は死ねっ! 蜂に刺されて破裂しろ!」
「なにそれ……とっても痛そうなのですが……!」

 想像しただけで胸を両手で抱えてガクガク震えそう。しかし胸を破裂させるだけの破壊力を持った蜂って、全長1メートルくらいあるんじゃないの? 一体どこのモンスターですか。

「そもそも、あたしはそこまでビッグサイズじゃないんだけれど……。大丈夫、ゆめのおっぱいにもちゃんと夢は詰まってたから!」

 そしてゆめに向かってVサイン。返答は私に向かってのVサイン……じゃない、あれはチョキだ!!

「どうせササヤマの胸には巨大化する夢だけは詰まってませんよ! パンドラの箱ですよ!!」
「ゆめちゃん、ゆめちゃん。パンド――あ、ごめんメール」

 ささっとスマホを取り出して確認する。

「そこまで言ったのなら最後まで言ってからメール確認しなさいよ!!」
「だが、断る!」
「何故に!?」
「ラの箱なら希望が詰まってるのよ」
「唐突に続きを言うな! なんだと思ったわ!!」

 プリプリ起こるゆめちゃんもプリティだと陽鞠さんは思いました。

『おはよう、ひまりん。ひまー? ひまだったらプールでも一緒にいかない?』

 史恵からのメールに何と返信したものか。

「ゆめちゃんあたし史恵とプールに行ってくるね」
「なんでよ!? ササヤマと遊んでる時に他の所に行こうとしないでよ!」

 これだけ怒らせているのにこの反応である。ゆめにはやっぱりあたしが必要なのである。こりゃあ結婚式も近いね! 適当に忙しいメールを送って誘いは断っておいた。

「ゆめちゃんツンデレ」
「……? どういう意味?」
「なんでもありません。ところで知ってるゆめちゃん、巨乳って水に浮くのよ」
「知らんがな!!」
「知ってるゆめちゃん、貧乳はステー――」
「それ以上言ったらコロス!」

 殺されたくないのでこの話題はやめるとします。そう、しばらくの間はね。

「あたしが死んだら一体誰がゆめに勉強教えてあげるの? 自習? え? 夏休みの宿題も自力で? がんばってくださいませ」
「えっ、ちょっ、それは卑怯……」

 もうお分かりだろう。あたしは夏休みの宿題を「写させる」ためにゆめ宅を訪れていたのである。故にゆめの顔色は赤から青へと変わっていく。ね、やっぱりリトマスだったでしょ。

「お代はゆめの体で払って貰おうかしら」
「やっぱりササヤマは自力でやるわよ! ホウノキは帰れ!」
「ごめんなさい。謝るから許してください。あたしをここにいさせて下さい……」

 とプライドなんてないあたしはマジ土下座を敢行する。プライドはお金にも愛にもなりませんから!

「うっ、……まあ、いいけど」
「よかったぁ……。我が家のエアコン壊れてて蒸し暑いんだもの」
「やっぱ帰れ! 家に帰ってご自慢の肉で肉まんでも蒸してればいい!」

 と怒って部屋を出て行ってしまいました。トイレでしょうか? はっ、これは色々と物色するチャンスなのでは……。

「せっかくジュースとお菓子の追加を持ってきたのに陽鞠は何やってんの!?」

 タンスの引き出しに手をかけていたあたしはすぐにゆめに発見されてしまったのである。

「ツンデレゆめちゃんの下着チェック。さーて、ゆめちゃんのお山の大きさはどのくらいかしら」
「ぎゃおおおおおお」

 怪獣みたいな鳴き声とともにゆめが急に走り出し、案の定すっ転びました。その拍子にスカートまで捲れてカワイイイチゴさんが丸見えです。ゆめが転んだのはあたしのせい。あたしがやっちまったです……。

「……あたしが悪かったから泣かないでゆめ」
「転んだくらいで泣くか、バカぁ……」

 めっちゃ泣きそうな声、下から覗き込むような目……しかもうるうる。ぐっ、何この小動物めっちゃ可愛い!! 抱きしめてもよかですかぁぁぁ!! 落ち着くのですあたし。まずはゆめが転んだ拍子に投げたペットボトルとポテチを回収。ペットボトルからジュースを注ぎ、一口。更にポテチの封を切り、一枚パリッと。

「ふぅ……」
「ふぅじゃないわよ!!! 違うでしょ! そうじゃないでしょ普通は!」
「だって……」
「だって、何よ!!」
「ゆめがあんまりにも可愛すぎるからいけないの! あんなクリティカルに心に突き刺さるような視線を飛ばしてくるからいけないの!」
「はぁ……? 言ってる意味が」
「ゆめの事が好き過ぎておかしくなりそうだって言ってるの!!」
「えっ、うええええええええええええ!!」

 あ……、勢い余って告白してしまったぞ……。どうするあたし。いや、まて。落ち着けあたし。まだ大丈夫のはず。まだ挽回できるはず!! 言葉の綾だって伝えればそれでいいんじゃないでしょうかねえ!?

「さ、ササヤマのこと、好き……なの?」

 さっきとは違う意味で顔が真っ赤。リンゴともトマトとも違う「熱」を感じさせる赤色。きっとあたしも同じくらいに真っ赤っ赤だと思う。

「それは、その……言葉の綾で」
「ああ、そう……」

 言って、しまった、ぞ……。これでさっきのアレはなかったことに、なったの、かな?

「ササヤマは、陽鞠のこと……大好きなのに」
「えっ……? 今、なんて」
「冗談よ」
「ああ……、そうなの」

 混乱からの天国かと思いきや地獄みたいな現世だったようです。こういうのはとても、とても泣きたくなる。理性がストップをかけても、感情が勝手に暴走する。瞳が涙で潤み、僅かにそれが零れ落ちた。

「ふふっ」

 なぜか、ゆめが少しだけ笑ったような気がした。未だに転んだままの体勢だったゆめが起き上がって近付いてきて、耳元で囁いた。

「陽鞠もササヤマも……ウソツキ」

 心臓がドキンとした。びっくりした。真意を問いただそうとしてゆめの方を振り向いた瞬間にそれは訪れた。最初に視界に入ったのはゆめの近すぎる瞳だった。そしてそれとほぼ同時に唇に柔らかいものが押し付けられた。この距離、この状態。疑う余地もなくそれはゆめのもの。いつもあたしの視線を誘導してくる薄桃色の唇。

「なんっ……」

 顔を離し「なんで?」と問おうと思ったけれどできなかった。ゆめが逃がすものかと言わんばかりに迫ってきたから。さっきが触れただけなら、今回はグイッと掴みに来たとでも言うのだろうか。いや、この場合、奪うという表現が的確すぎるのではないだろうか。こういうのは、あたしが先手を取ると思っていたのに。ゆめがこんな行動に出るなんて予想外もいいところ。
 ゆめの唇は何度も何度も想像し、夢に見たそれよりも何倍も何十倍も柔らかくて、唇だけしか接触していないというのに体全体がとろけそうになってくる。これが、本物のキスなのか。
 それはきっと数秒間というとても短い時間だったのだろうけれど、あたしにはとても長い幸福な時間に感じられた。

 だから、やめてください。ゆめさん。

「ヘタクソ」

 早々にそんなことを言って心を抉ってくるのは!!

「笹山ゆめは陽鞠のことが好き。たとえヘタクソでもね!」
「朴木陽鞠はゆめを生涯愛することを誓います」
「ちょっ……愛とか、何いってんのよ!? ヘタクソの分際で!!」
「でもゆめちゃん。最初は誰でも下手なものよ。だから……これからいっぱい練習しましょう、ね?」
「……うん」

 ゆめは恥ずかしそうに俯きながらもそう言った。言ってくれた。

「あ、そうだ。体で払ったんだから宿題はよろしく」

 笑いかけてきた彼女は今まで以上に魅力的に見えた。

「あー、うん……お任せくださいゆめさん」

 今後、パワーバランスが逆転しそうだなぁと陽鞠さんは思いました。でもいいか。どうせ未来のあたしは幸福なんだから。


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